shakeing the long leg

 いまだかつて彼の家をのぞいた者は、まず三人となかろう。一人は大家であり、他の一人は、彼がこれから腸のことについて電話をかけようと思っている先の人物――つまり熊本博士ぐらいのものであった。
 彼は青い顔の上に、ライオンのように房づいた長髪をのせ、世にもかぼそい身体を、てかてかに擦れた金ボタンつきの黒い制服に包んで駅前にある公衆電話の函に歩みよった。
 彼が電話をかけるところは、男囚二千七百名を収容している○○刑務所の附属病院であった。ここでは、看護婦はいけないとあってすべて同性の看護夫でやっている。男囚に婦人を見せてはよくないことは、すでに公知の事実である。
「はあ、こちらは○○刑務病院でございます」
「ああ、○○刑務病院かね。――ふん、熊本博士をよんでくれたまえ。僕か、僕は猪俣とでもいっておいてくれ」
 と、彼はなぜか偽名をつかい、横柄な口をきいて、交換嬢を銅線の延長の上においておびえさせた。

 うれしい皇軍の赫々たる大戦果により、なんだかちかごろこの地球というものが急に狭くなって、鼻が悶えるようでいけない。これは作者だけの感じではあるまい。そこで、もっと広々としたところを見出して、思う存分羽根を伸してみたくなって、作者はここに本篇「宇宙尖兵」を書くことに決めた。
 書き出してみると、宇宙はなるほど宏大であって、実はもっと先まで遠征するつもりでいたところ、ようやく月世界の手前までしか行けなかったのは笑止である。
 こういう小説を書くと、またどこからか、やれ荒唐無稽じゃ何じゃと流れ弾がとんでくることであろうが、本篇の巧拙価値はまず措き、とにかくわれわれ日本民族はもっと「科学の夢」「冒険の夢」を持たないことには、今日特に緊急とせられる民族的発展は、その必要程度にまで拡ることが出来ないと信ずるが故に、作者は流れ弾がとんできたら、それを掴んで投げかえす決意だ。

 それからは、やけに速足になって、監獄通りの舗道を、百ヤードほども、息せききって歩いていったが、そこで、なんと思ったか、急に足を停め、くるりと後をふりかえった。
 彼の、どんよりした眼は、今しも出てきた厳しい監獄の大鉄門のうえに、しばし釘づけになった。
 そのうちに、彼の表情に、困惑の色が浮んできた。小首をかしげると、呻くようなこえで、
「……わからない。何のことやら、全然わけがわからない」
 と、英語でいった。
 溜息とともに、彼は、監獄の門に尻をむけて、舗道のうえを、また歩きだした。もう別に、速駆けをする気も起らなくなったらしく、その足どりは、むしろ重かった。
「……わからない」